勉強する=ゲームしない

勉強しない=ゲームする

 

勉強(する+しない)=ゲーム(する+しない)

よって勉強=ゲーム

 

なんていう馬鹿なことを言っているともだちがいる。

まず、ここで考えたい。

人間はなぜ勉強するのか?

僕が思うにはいい大学に行くため。

いい大学に行ってどうするのか?

ちゃんと就職する。

それでどうする?

幸せな家庭を築く

 

そう、人間がするすべてのことは

幸せな家庭を築く、世界を平和にする。

そのための勉強である。

 

しかし、勉強ができる人とできない人がいる。

それは生まれた時の才能だと僕は思う

99%才能と1%の努力であると思う

生まれた時の才能を磨く

そのための1%です

 

例えばスポーツ。

これも才能であると思います

「このスポーツはできる。

小さい頃からやってきた。」

こういうことをよく学校で聞きます。

スポーツは比較的努力が関係することが一見あるように聞こえます

しかし、僕が思うにはこれは単に才能の限界が高いということ。

つまり、努力をして限界まで持って行く人と何もしない人とで差が出来る

ですが、その限界というのが生まれた時からの才能で決まるということです

例としては、オリンピック選手

オリンピック選手と同じ量の練習をした人が何人もいるとする

果たしてその人達は全員オリンピックに出場することができるのでしょうか?

答えはいいえだと思います。

限界がオリンピック選手と同じくらいの可能性もありますが、決して全員ではありません。

これは生まれた時の才能が決めるものです

 

次の例として、声

学校で声が小さくて先生に怒られてる人をよく見かけます

これも努力しているのに声がでないという人が多いでしょう

これは声の大きさ

音痴な人になんでしっかり歌えないの?といっているのもよく見かけます

これも努力しているのに上手く歌えない

これは声の高さ

最後に、友達に物真似をさせられてできないというのも見かけます

これは声の音色

この大きさ、高さ、音色も努力で変えられるようなものではない

これは生まれた時の才能である

 

結果的に見ればこれらは人間の体とまとめることができる

他にも、身長、性格などもそうである

体に直接関係あるものは簡単には変えられない

 

ここで話題を戻そうかと思います

勉強もこの体と関係あります

脳という体の一部を使いますから

もともと、脳には記憶することができる収容量が決まっており、それを努力で埋める。

その埋める速度、埋めたものを忘れない能力

それも才能だと思います

 

ですから、変な言い訳をつけずに勉強が苦手でも僕は勉強してほしいと思う。自分は勉強が苦手なんだぁとは考えずに限界まで達してそれを乗り越えてみせる的な感じで勉強してほしいと思います   最後までお読みいただきありがとうございます。中一の考えなのでいろいろとおかしいところもあると思いますが… 上から目線で申し訳ありません